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なぜ「自然との共生」か(前編)

どうして「現代社会と自然との共生」を自身のミッションとして考えているのかについて今日は書きたい。

大学時代にバックパッカーとして初めて旅行したのがタイだった。当時のタイは活機に溢れていて、特に最初に訪れたバンコクにあるカオサンロードでは、外国から来たバックパッカーたちの期待と成長するタイの熱気が混ざっていて、混沌としつつもそこで強いポジティブなエネルギーを感じたことを鮮明に覚えている。その後のサムイ島、パンガン島のビーチも含めて、最高のバックパック旅行で、それ以来タイのことが本当に好きになり、これまでタイ式マッサージとタイ料理には大変お世話になっている。

そんなに充実したタイでの旅行を満喫しつつ、次第に僕の興味は次の目的地へとシフトしていた。旅の道中であらゆるバックパッカーたちにこれまで最も良かった旅先はどこだったのかと聞いて回っていた。当時の自分にとっては、極めて意外だったのだが、みんな口を揃えて教えてくれたのはインドだった。兎に角インドは全てにおいて世界が違うと。特に、印象的だったのは、ヒッピー風でギターを背負い込んで長期に亘って旅行していた日本人のバックパッカーが、”インドは兎に角おもしろい。でも、やっぱりインドの良さはあの山の大自然だ”と教えてくれたことだった。

それから約1〜2年後に、アメリカへの交換留学から帰国後にインドのソフトウェア会社でインターンをすることに決めて、インドを訪れた。アメリカ交換留学において大変お世話になった大学の先輩がインドでのインターンを先に経験していたのは幸運だった。彼には、アメリカ留学やインドでのインターンについて親身に相談にのってもらい、本当にお世話になった。

インドに着いて早々、最初に驚いたのは、レストランのメニュー表には、「野菜・チキン・ビーフ」としか書いてないことだった。思わず店員さんに、「野菜って何ですか?」と聞いてしまった。インドでは料理がカレー料理であることは当たり前なので書いていなかったのだ。次に驚いたのは、牛が普通にそこら中を歩き回っていたこと。インターン先のジャイプールは、インドでは中規模の都市で、そういう光景が日常的にあった。また、インターン中は、兎に角旅行三昧だった。一人でジャイサルメールという西インドの砂漠地域に行ったり、当時ジャイプールにインターンに来ていた仲間(ヨーロッパとアメリカから来ていたインターン生が殆ど)とラジャスタンを中心に旅行したり、毎週末旅行していた。


村


インターンを終えて、大学が始まる迄、1ヶ月程度余裕があったので、北インドを旅行することに決めた。デリーの北にあるマナリという都市までは、ジャイプールの仲間とバスで共に旅行し、その先のレーという都市から1人旅になった。マナリからレーまでは飛行機も出ているが、金銭的にも余裕が無かったので、3日間のバス移動を選択した。このバスが本当に地獄だった。とにかく、山道は凸凹で、運転手の運転もとてつもなく荒かった。乗客の半数近くは嘔吐に苦しんでいたことを記憶している。このバスは、一度のったら途中で引き返せず(他に移動手段がないため)、みんな激しい車酔いに苦しんでいた。

北インドは、ヒマラヤ山脈の一角を形成しており、最高地点では標高5000Mを超えていた。そこにある自然は、本当に圧巻だった。この時、想像を超えた絶景を目の当たりにして、”どんな崇高な建築物も結局人が創造したもの。でも、自然は人間の想像の範疇を超えている”と強く感じた。デリーからレーまでは1000KMを超える長旅で、そこについたときの感動は一入だった。この頃から、自分の中で自然に対する認識が大きく変化した。思い返してみれば、常に自分の周りには大自然があった。幼少期を過ごした瀬戸内海の島も、大学時代を過ごした北海道も自然に恵まれている場所だった。当たり前のようにあった自然、そんな自然がここまで偉大な存在だと気づいたのはこのときだったかもしれない。


レー

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