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東日本大震災 - 気仙沼

今日、僕は、宮城県の気仙沼という街に行ってきた 。東日本大震災で大きな被害を受けた街だ。ずっと前から、来よう、来ようと思っていたが、恥ずかしながら、それから4年も経ってしまった。

気仙沼


気仙沼市は、随部と復興が進んでおり、表面的には当時の津波の襲った生々しい爪痕は随分と影を潜めていた。が、その後の気仙沼線での陸前戸倉までの移動で、地域やその経済の復興という意味では、全く別の話であったことを痛感した。気仙沼線の気仙沼から柳津の間は、津波により線路が継ぎ接ぎの状態になり、その後をBRT(Bus Rapid Transfer。線路があった場所に道路を敷設し、バスを走らせているもの)というシステムで代替している。これまでは、2時間に1本しか電車がこない不採算路線だったので、JRとしても修復にお金がだせず、取りあえずバスで 代替しているらしい。気仙沼線上の多くの住民も被災して、山の手の方に住居を移しているようだ。

東日本大震災が東北地方を襲った当時、僕は東京のオフィスにいた。それも、かなり偶々そこに居合わせたという感じだった。その時、僕は複数の発電所の入札案件を抱えており、ほとんど日本にいなかった。地震の数日前に帰国し、地震の翌日には日本を発っていた。その当時は、会社生活を振り返っても最も多忙な時期だったと思う。東南アジアで最大の火力所入札案件を担当する傍らで小型の案件を先輩と2人で追いかけていた。その頃、その先輩と、 やることは尽きないが体が保たないのでこの辺で帰ろうという話を毎晩していたことを良く覚えている。

東日本大震災のニュースは、僕はかなりリモートでインドネシアのホテルの部屋で見ていた。とても不思議な感覚だった。自分の国がこれだけ電力の問題で悩んでいる中、僕は他国の電力案件に忙殺させられているのだ。この頃から、僕は日本の電力問題の解決のために何かしたいと考えるようになった。それも、あくまで自分の興した会社を通じて。起業することは、僕の将来設計の大前提で10代の頃からそれは決めていた。

東日本大震災は、僕にとっても凄く大きな影響のある出来事だったし、自分自身でその生々しい実態を自分の目に確りと焼き付けたおきたいと思っていた。そういう意味では、僕が気仙沼に来たのはちょっと遅過ぎた。幸いなことだが、あのテレビニュースで毎日取り上げられていた気仙沼の姿は、もうなかった。震災後数年間は、仕事やMBA受験で目が回るような日々を過ごしていたというのは事実だが、それも言い訳でしかない。やると決めたらすぐに行動に移す、今後は、これをもっと徹底したい。
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