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決意表明!

ボストンに帰国後、ニューヨークに行ったり、引っ越ししたりで随分とバタバタしていたが、あと数日で漸く落ち着きそうだ。日本帰国中に、Nature関連で色んな方とお会いさせて頂いたが、今後の本格的な事業化の可能性にそれなりの手応えを感じる結果だった。ここからは、いかに早く商品をマーケットに投入し、フィードバックと改善というサイクルを高速で回し、競争優位性を確保して行くかということが勝負になる。

日本では、それほど浸透していないと思うが、ハーバードMBAでも徹底的に叩き込まれ、アメリカのスタートアップの業界では常識になっているものにLean Start Upというものがある。これは、製品開発の段階でマーケットとのフィットを上手く導くまでは、極力商品をデフォルメ(簡易バージョン)した形で市場に投入し、顧客からのフィードバックを得て改善しながら市場にフィットした商品を開発して行くという手法だ。商品を完成系で市場に投入し、そこから軌道修正をしていくよりも圧倒的に改善のスピードが早く、初期コストも抑えられるのでスタートアップの会社には極めて適合性が高いアプローチだ。

その第一歩として、今、まさにNatureでもプロトタイプを作っているところだが、明後日(6月30日)から7月末(7月29日)までの間の30日間を掛けて自身でソフトウェアの部分(デモ用の機能の実装まで)を開発することにした。開発効率を上げるために、27インチのiMacも購入(が、まだ、到着しておらず・・・。待ち遠しい!)!もともとプログラミング自体は、13歳のときにスペースインベーダーをBasicという昔なつかしの言語で作ってからスウェーデンでComputer Scienceの修士号を取るまで得意分野ではあったが、いかんせんブランクが長いので一から勉強する覚悟で望みたい。

プログラミング


ある技術者の方から、その様子を毎日ブログに更新してはどうかというご提案を頂き、確かにそれは面白い!と思ったので、6月30日から出来る限りその試行錯誤の様子を毎日このブログを更新して行きたい。

東日本大震災 - 気仙沼

今日、僕は、宮城県の気仙沼という街に行ってきた 。東日本大震災で大きな被害を受けた街だ。ずっと前から、来よう、来ようと思っていたが、恥ずかしながら、それから4年も経ってしまった。

気仙沼


気仙沼市は、随部と復興が進んでおり、表面的には当時の津波の襲った生々しい爪痕は随分と影を潜めていた。が、その後の気仙沼線での陸前戸倉までの移動で、地域やその経済の復興という意味では、全く別の話であったことを痛感した。気仙沼線の気仙沼から柳津の間は、津波により線路が継ぎ接ぎの状態になり、その後をBRT(Bus Rapid Transfer。線路があった場所に道路を敷設し、バスを走らせているもの)というシステムで代替している。これまでは、2時間に1本しか電車がこない不採算路線だったので、JRとしても修復にお金がだせず、取りあえずバスで 代替しているらしい。気仙沼線上の多くの住民も被災して、山の手の方に住居を移しているようだ。

東日本大震災が東北地方を襲った当時、僕は東京のオフィスにいた。それも、かなり偶々そこに居合わせたという感じだった。その時、僕は複数の発電所の入札案件を抱えており、ほとんど日本にいなかった。地震の数日前に帰国し、地震の翌日には日本を発っていた。その当時は、会社生活を振り返っても最も多忙な時期だったと思う。東南アジアで最大の火力所入札案件を担当する傍らで小型の案件を先輩と2人で追いかけていた。その頃、その先輩と、 やることは尽きないが体が保たないのでこの辺で帰ろうという話を毎晩していたことを良く覚えている。

東日本大震災のニュースは、僕はかなりリモートでインドネシアのホテルの部屋で見ていた。とても不思議な感覚だった。自分の国がこれだけ電力の問題で悩んでいる中、僕は他国の電力案件に忙殺させられているのだ。この頃から、僕は日本の電力問題の解決のために何かしたいと考えるようになった。それも、あくまで自分の興した会社を通じて。起業することは、僕の将来設計の大前提で10代の頃からそれは決めていた。

東日本大震災は、僕にとっても凄く大きな影響のある出来事だったし、自分自身でその生々しい実態を自分の目に確りと焼き付けたおきたいと思っていた。そういう意味では、僕が気仙沼に来たのはちょっと遅過ぎた。幸いなことだが、あのテレビニュースで毎日取り上げられていた気仙沼の姿は、もうなかった。震災後数年間は、仕事やMBA受験で目が回るような日々を過ごしていたというのは事実だが、それも言い訳でしかない。やると決めたらすぐに行動に移す、今後は、これをもっと徹底したい。

「会社」を経営したいのか、「価値」を創造したいのか

起業家として経営者として、会社の方向性を判断する上で自分の価値観に委ねる機会はごまんとあると思う。その究極的なものにビジネスの追求と美学(ある意味では、自己満足)の追求というものがある 。僕は、このテーマについて親父とこれまで20年に亘り、話をしてきたし、自分なりの整理はついていると思っていたが、実はまだ整理しきれていないことにある優秀な起業家との出会いで気付かされた。

今でも良く覚えている。僕が、12〜13歳の頃、僕の親父が念願叶って買った中古の白いポルシェで グリーンラインという地元の峠を走らせているときだった。親父は、おもむろに僕に聞いてきた。「ビジネスだと割り切ってある程度は顧客の要求に沿った絵を描く画家」と「貧乏でも顧客に迎合することなく自分の哲学を貫いた絵を描き続ける画家」がいたとすると、お前はどっちになりたいか、と。

ゴッホ


その時の僕は、何も迷いもなく、後者だと答えたのを鮮明に覚えている。そもそも、僕は自分の美学・哲学を考えたときに、前者というのはあり得ないと思ったし、そんなことを聞く親父にうっすらと憤りすら感じ、熱くなって回答したことを覚えている。これは、僕は、ある意味では究極的な課題だと思っていたし、その後もずっと僕の頭をグルグル回り続けるテーマだった。

実は、親父の画家の話は、親父自身が起業家・経営者として直面していた岐路を12〜13歳の僕に分かりやすくデフォルメして問うたものだった。その後、僕が、日本・アメリカ・スウェーデン(インターンではインドでも)で情報工学を勉強し、総合商社において色々な事業モデルを見ていく中で「ビジネスだと割り切ってある程度は顧客の要求に沿った絵を描く」ことは、「貧乏でも顧客に迎合することなく自分の哲学を貫いた絵を描き続ける」ことの手段になり得ると考えるようになった。

それが、昨日、その優秀な起業家の方に、 僕の考えていたことはあくまで理想論であり、究極的には会社を経営する中でどちらかを選択する必要があるとのご指摘を受けた。言い換えると、「会社」を経営したいのか(ただ、絵を描き続けたいのか)、「価値」を創造したいのか(画家としての美学を追求した絵を描きたいのか)、自分の起業家・経営者としての価値観がどこにあるのかだということだと言う 。彼のこれまでの経験の中で、そういう判断をしてきたし、その中で自分の方向性が研ぎすまされてきたと。

僕は、まだ会社を立ち上げたばかりなので、本当に僕の考えが単なる理想論でしかないのかは分からない。ただ、8年間会社を経営してきた彼の言葉には相当な重みがあり、貴重なアドバイスとして僕が今後直面するであろう究極な選択に向けてスローブレインを最大限に回転させ準備しておきたい。僕にとってのその答えは、明確だろう。でも、もう一度整理しなおしたい、それくらい大事なテーマだと思う。

日本の美容業界の可能性

日本に帰国してから約3週間が経とうとしている。久しぶりの日本で(前回の帰国は、奨学金の授賞式がメインの弾丸帰国だったので)、何かビジネスのネタがないかと新鮮な目で色々と意識的にみるようにしてきた。その中で、大きなポレンシャルがあると感じているのが、日本の美容業だ。美容業と言っても広いが、より具体的には散髪・整髪に大きな可能性を感じている。

なぜか?

まずは、供給側の状況から。日本の美容室のサービスクオリティは海外と比較しても抜群に高い。特に、東京の表参道にある名前の通った美容室は、世界でも最高水準では無かろうか。海外に住んだことがある方なら良くお分かりだと思うが、海外で日本の美容室と同じクオリティの美容室を探すのは至難の技だ(勿論、海外で活躍されている日本の美容師の方もいるのは事実)。僕は、東京ではBeatriumという美容室でお世話になっていたが、髪型を立体と捉え、はさみを入れる角度・深みを見極め、スキバサミで立体を微調整し、パーマによりアクセントを付ける。細かいところまで拘る日本人の特性を凝縮したような技術が確立している。実際に、ヘアカットの世界選手権では日本の美容師が大活躍をしていると聞いたこともある。一方で、日本のヘアサロンが海外に進出している事例はそんなに無いように思う。昨日伺った表参道の美容師さんも、表参道の有名店が海外に進出しているという話はあまり聞いたことがないと言っていた。

そういう日本人の高い散髪・整髪技術は、実は日本人以外の間でも認識され始めている。僕が、スウェーデンにいた頃でもファッションに拘りのある中国人の女友達からは日本人の美容師を紹介して欲しいと良く頼まれていたし、ボストンでは中国人のみならずインド人のクラスメートからも同じ依頼を受けた。需要側が海外在住の日本人のみであれば市場規模も限定されるが、中国人やひいてはインド人までを引きつけることが出来れば相当な市場を狙う事ができる。

では、なぜ、日本の高い美容技術が海外に出ていないのか?

恐らく、言語の壁ということなのではないか。確かに、英語を自由に操る美容師さんは少ないかもしれない。だが、お客さんと美容師さんの間で究極的に必要なやり取りは髪型のイメージを伝えることくらいだ。これは、言葉が達者でコミュニケーションが出来たとしても極めて難しい会話だ。僕は、良く自分のやりたい髪型に近いイメージ写真を見せている。これが、いちばん効率的であり、確かな方法だと思う。もし、仮にこのやり方で髪型のイメージを共有出来れば、言語の壁は超えられると思う。当然、海外で暮らす事になれば美容師さんも英語を勉強されるだろうし、必要に迫られれば日常会話程度はすぐに習得できるのではないか。

何が課題になりうるか?

海外に出る事に興味のある日本人の美容師さんがどの程度いるのか僕には分からない。日本のファッションは、海外のファッションの影響を強く受けているので、恐らく、意識の高い美容師さんであればあるほど海外に出ることには興味があるように思う。それなりに数は集まるのではないか。あとは、ビザや規制の問題が残る可能性はあるが、そこは恐らく解決策はあるだろう。

残念ながら、美容業界の海外進出支援というのは、僕の目指すところではないが、美容と起業に興味のあるバイタリティに満ちた日本人女性にこのあたりは是非開拓して頂きたい。そんなことをつらつらと考えつつ、僕も、久しぶりに髪型に少しアクセントを!

日本の美容室


ハーバードMBA 1年目終了 起業総括編

早いもので、ハーバードMBAの1年目のプログラムが終了した。試験の最終日の翌日に飛行機で東京に戻り、今、ラウンジでこの記事を書いているが、振り返ると本当にあっという間だった。

本当は、もっともっとNatureのことに集中したかったのだが、相当MBAの勉強に時間を取られてしまったというのが率直な気持ち。この1年でのいちばんの収穫は、やっぱりハーバードやMIT の起業家のたまご達と付き合い、彼らのアイデアが世の中に認められる瞬間に立ち会うことが出来たことだと思う。ハーバードMBAのビジネスコンペティションで見事に優勝したMichael、MIT Clean Energy Prizeの優勝で約$400,000の起業資金を手にしたAlex、Kick Starterで資金調達し会社を立ち上げる仲間達、Field 3(実際にマイクロビジネスを立ち上げる授業)のプロジェクトを継続する同級生。彼らが、アイデアの段階で悩み、試行錯誤を繰り返して、認められるという経緯を横で見る事が出来たのは、確実にこれから僕がNatureの事業化を目指す上で糧になると信じている。

いくつかのビジネスコンペティションに参加し、その優勝者のAward Ceremonyにも参加してきたが、その中でもいちばん印象に残っているのは、Field 3のCeremonyだ。というよりは、その中のCleverlayoverというチームのプレゼンだったと思う。見た瞬間に、彼らはちょっと異次元だなと感じた。彼らのアイデアは、通常のフライト検索サイトでは提携している航空界者間のフライトの組み合わせしか選べないが、複数のサイトからデータを抜き出して、インターネットで調べることの出来る最も安いフライトの組み合わせを提案出来るCleverlayoverという検索サイトの事業化というもの。技術的には可能だったが、これまでのフライト検索サイトは、乗り継ぎや手荷物の問題もあり、敢えてやってこなかった組み合わせを、兎に角安い航空券が欲しいという消費者に対して提示するというもので、金額にして最大30%のメリットがある。とっても分かりやすい、Value Propositionでシステムも既に動いていた。それが故にプレゼンも圧倒的にシンプルで分かりやすい。

IPO


凄いのが、ハーバードMBAの2人の学生がそのシステムをスクラッチから僅か2-3ヶ月で全て作り上げたということ。そのうちの1人が睡眠時間を削って大半のコードを書いたらしい。彼は、アメリカのTop Schoolで数学と情報工学を勉強し、その後コンサルティングファームで働いていたのだが、MBAの勉強と並行してシステム構築に必要な知識を勉強しながら仕上げたらしい。そのサイトは、既に相当のアクセス数を獲得しており、色んな記事にも取り上げられている。僕も、Natureで最後は自分で技術的なこともやることを考えながらも、技術者を探していた。彼らの短期間での成果をみて、やっぱり、そんなぬるいことを言っていては駄目だと痛感させられた。

Natureもこの夏から本格的に始動開始する予定なので、乞うご期待!
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